そして僕はクマになる。

文学、読書、その他諸々についてまったり綴る。

クマでもわかるカール大帝

 

はじめに。

尊敬する人っているかい。

カール大帝一択だぜ。

 

ということで、今回はカール大帝について書いてみます。

 

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世界史でお馴染みのカール大帝は、フランク王国の王様。(在位768-814

 

このフランク王国は、751年から王位を継承したカロリングのもと、周辺のゲルマン諸部族を支配下に入れながら拡大していった国。

 

この王国の支配地域はカール大帝の時に最大に達しました。

 

そんな有能な彼の生涯について、今週は詳しくみていくことにしましょう。

 

 

 

大帝への道

 

カール生まれる

 

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フランク王国ピピン3世のもとで生まれたカール。

 

彼の出生については不明な点が多く、様々な議論が交わされてきました。

 

問題となるのは彼の生まれた年。

 

カールは742年に生まれたとされていますが、彼の父であるピピンと正妻ベルトレドの結婚は744年以降と一般的に考えられているのです。

 

この論に従えば、カールは私生児として生まれたことになり、彼とのちに生まれたベルトレドの息子カールマンとの険悪な関係にも説明がつきそうですね。

 

研究によっては、カールが747年や749年に生まれたとする論もあるみたいです。

 

カールの戴冠

 

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800年のクリスマスにめでたく皇帝となったカール。

 

さて、カールの皇帝戴冠を可能にしたものは何だったのでしょうか。

 

その要因の一つが、カール率いるフランク王国が獲得してきた広大な領土でした。

 

774年にイタリア北部のランゴバルト王国を滅ぼしたフランク王国は、続いて現在のドイツ南部に位置するバイエルン大公領を支配下に組み込み、現在のハンガリーのあたりを拠点としていたアヴァール人たちを倒して服属させます。

 

このほか、カールの戴冠の直接のきっかけとなった人物を見ておかなくてはなりません。

 

それが、カールの戴冠式を執り行ったローマ教皇レオ3世

 

797年に政敵に襲われた教皇は、カールを皇帝にすることにより、自分の立場が改善されることを願ったのでした。

 

共同体としてのヨーロッパ

 

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800年にローマ皇帝として戴冠されたフランク王のカロリング家カール。

 

彼の戴冠によってヨーロッパは一つの共同体となったのです。

 

ここで、カールの帝国の2つの大きな特徴を紹介しましょう。

 

世界を統一する「普遍的な帝国」という性格

 

5世紀にゲルマン民族の大移動によって崩壊した、西ローマ帝国を継承するものでした。

 

皇帝がキリスト教の守護者として存在するということ

 

戴冠式が皇帝レオ三世によって行われたことは、キリスト教の権威が皇帝の力の拠り所であることを示すものでした。

 

カロリング・ルネサンス

 

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カロリング・ルネサンスたる言葉があります。

 

これは、カール大帝が学芸を推奨して生じた文化運動なのです。

 

ラテン語を十分に習得していない聖職者が多くいることに危機感を感じたカールは、彼らの教育に力を入れて教会をさらに発展させていこうと考えました。

 

当時のローマ・カトリック教会ではラテン語聖書(ウルガータ訳ともいう)が正しいものと理解されていました。

 

ですので、ラテン語の文章をうまく読めない聖職者がいることは大問題なわけです。

 

カロリング・ルネサンスの中心人物となったのは、意外にもフランク王国外の人物。

 

イギリス生まれの神学者アルクィンは、カール大帝の側近として有名になりました。

 

カールの時代

 

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カール大帝の時代、人々の立場は「自由人」であるか否かによって大きく異なりました。 

 

非自由」は牛や豚などの家畜のようなものとして考えられていたのだとか。

 

農業社会であった当時、貴族や教会は「荘園」という土地を所有しており、この荘園に属して働く農民と、荘園に属さずに働く農民が存在しました。

 

後者は保護を必要としながら生きることを強いられたために、「貧者」として呼ばれることもあったそうな。

 

キリスト教の影響によって非自由人の地位が向上するなど、身分の格差が平準化しつつあったカールの時代。

 

依然として富む者と虐げられる者との隔たりは非常に大きいものだったのですね。

 

さいごに

 

今回は初めての歴史関連の記事。

 

カールの死やその後のことについては、次の機会におあずけ^^

 

最後まで読んでくれてありがと〜!