そして僕はクマになる。

文学、読書、その他諸々についてまったり綴る。

クマでもわかるルートヴィヒ・ティーク

はじめに。

 

ドイツのぷちロックダウンはまだまだ続くみたい。

 

ドイツ・ロマン主義の作家を語るうえでティーク(1773-1853)の存在は欠かせません。

 

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フリードリヒ・シュレーゲルや、前に紹介したノヴァーリスとも親交を結んでいたそうです。

 

類い稀な才能を若い頃から発揮したティークは、20歳ごろから職業作家として活躍していました。

 

彼の代表的な作品は諷刺喜劇『長靴をはいた牡猫』(1797)や、メルヒェン『金髪のエックベルト』(1797)などなど。

 

中世の物語を発掘して近代風に語り直したりしたそうな。

 

メランコリー 

 

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小説家としてのみならず、劇作家、さらには詩人として高い評価を得ていたティーク。

 

今回は、そんな彼の詩『メランコリー』の一部を紹介していきます。

 

メランコリー』

 

夜は黒く、暗い星々は燃えていた

雲のベールによって力なく色あせ、

霊の王国を道が通り、

出産の女神パルカらが敵意を持って下方を向き、

怒りの神々が私を生へと送ったのだ。

 

 

この詞では、ロマン主義の基礎をなす感情「憂鬱」が表されているのです。

 

でも、よくわからん。

 

 

『長靴を履いた猫』

 

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シャルル・ペローのメルヒェンを下敷きにした作品。

 

3人の兄弟が遺産を分け合い、長男が粉挽場、次男に馬、3人目には猫しか残りません。

 

言葉を話せる利口なこの猫は、自分の主人を王様にしてしまうのです。

 

ここまでは芝居であって、それを観ている芸術批評家たちが登場します。

 

つまり、劇の中で劇が演じられていくのです。

 

上演が進むとともに、物語はドタバタ、てんやわんやな展開に...

 

『金髪のエックベルト』

 

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物語の主人公は「金髪のエックベルト」と呼ばれる騎士。

 

妻のベルタと仲良く暮らしていました。

 

エックベルトの親友ワルターも、物語の鍵となる大切な人物。

 

ある日、ベルタは二人の前で貧しかった自分の過去のことや、ある老婆に世話になったことなどを語ります。

 

彼女は老婆の持つ宝石と、宝石を産む鳥を奪って美しい騎士との出会いを求めて飛び出してきたのでした。

 

そこから、物語は急展開していき...

 

おわりに。

 

さて、今回はティークについて紹介しましたが、彼も僕にとって懐かしい作家の一人。

 

最近はなかなか読めてないなあ、小説。 

 

最後まで読んでくれてありがとう!

 

クマでもわかるジャン・パウル【ぷち作品編】

はじめに。

 

少し前の記事の続き...

 

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プチ・ロックダウンにも関わらず、ドイツに帰ってきました。

 

ということで、また少しずつ書いていけたらと。

 

陽気なヴッツ先生(1793)

 

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実際には「アウエンタールの陽気な先生マリア・ヴッツ」という名で1793年に刊行されたこの作品。

 

題名が示すように、牧歌的な要素が作品の重要なものとして扱われています。

 

この物語は、ある田舎教師の一生を伝記風に描いたもので、ジャン・パウルの最も有名な作品のひとつ。

 

ちなみに牧歌とは本来、古代ギリシア・ローマにさかのぼるもので、牧人や農夫の生活を主題とした詩歌を指すものでした。

 

自然に帰れ」という言葉を残したルソーの影響から、18世期に牧歌が再びブームを迎えていたそうです。

 

語り手はユーモアたっぷりに主人公ヴッツの姿を描いていきます。

 

生意気盛り(1804)

 

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ジャン・パウルの代表的作品のひとつ。

 

物語は、ある富豪が遺言によって一人の青年を相続人に指定することから始まります。

 

この夢想家である青年は、ヴァルトと呼ばれる素朴な人物であり、小さな村の村長の息子でした。

 

しかし、彼が遺産を正式に相続するためには、予め指定された職業に従事し、最終的に牧師に就任する必要があったのです。

 

さらに、ヴァルトの双子の弟であるヴルトの存在も重要であり、両者が力を合わせることなくして兄が遺産を手に入れることは叶わないのです。

 

さいごに。

 

以前、作家の紹介しか書けなかった記事の続編という感じで書いてみました。

 

ジャン・パウルの作品はかじる程度にしか読んだことがないですが、時間を見つけて読めたらいいと思います。

 

カフェやレストランが全く開いてないのがつらすぎる...

 

最後まで読んでくれてありがとう!

クマとよむ『失楽園』下【ジョン・ミルトン】

はじめに

 

さてさて、今回は失楽園の続き。

 

サタンはどのように復讐するのでしょう...

 

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あらすじ

 

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悪意をいっそう強めたサタンはイブを陥れようと美しい蛇に姿を変えて近づき、彼女を誘惑して神に食べることを禁じられた善悪の樹からその実を食べてしまいます。

 

さらにはアダムまでもイブの勧めに従い実を食べ、2人からは「無垢」が消え去り、「羞恥」が彼らを覆います。

 

アダムとイブは互いに言い争うも、己の罪を悔い改め、神は彼らを受け入れます。しかしながら、彼らがエデンの園に留まることは許されず、園からの追放が命じられるのでした。

 

思うこと

 

座天使主天使権天使力天使能天使よ!わたしは今お前たちをそう呼び、そう宣言する、なぜなら、お前たちは当然の権利としてのみならず、現実にその所有者となったからだ!私はまさに妨害の成功を収めてここに帰還したが、それも、この嫌悪すべき、この呪うべき奈落の底から、この悲しみの住処から、 例の暴君の定めたこの牢獄から、お前たちを凱歌をあげて連れ出すためなのだ!

 

 

アダムとイヴがサタンによる奸計に陥ったのち、サタンは仲間たちのもとで己の陰謀が成功したことを物語ります。

 

彼らへの呼びかけには、天上の天使らの位が用いられています。その他、天国の様子が地獄にてパロディ化されて映し出されることが物語中に散見される点も注目。

 

しかし、聴衆から聞こえてきたのは歓声ではなく嘲罵の声。気づけば、サタン自身も巨大な蛇に姿を変えられていました。

 

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こうした描写は聖書の中には描かれないもので、個人的にお気に入りの箇所。

 

ミルトンはどうやらヤーコプ・ベーメ(1575-1624)の著作からアイデアを取り入れたそうな。

 

ベーメはちなみに、ドイツ・バロックの著名な思想家ですが、彼の作品はまだ読んだことがないので、そろそろ読んでみようかと。

 

さいごに

 

ということで、一年も前に読んだ作品についてようやく書けたので満足。

 

ドイツは今日も曇り空でござる。

 

最後まで読んでくれてありがとう!

クマとよむ『失楽園』上【ジョン・ミルトン】

はじめに。

 

サタンの復讐。

 

今回は、だいぶ前から読みっぱなし状態だった失楽園について書いておきます。

 

 

失楽園 上 (岩波文庫 赤 206-2)

失楽園 上 (岩波文庫 赤 206-2)

  • 作者:ミルトン
  • 発売日: 1981/01/16
  • メディア: 文庫
 

 

 

ミルトンの紹介をしたのも懐かしい...。

 

 

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あらすじ

 

物語の大枠は、アダムとイブがサタンの奸計によって堕落し、最終的にエデンからの追放を命じられるというもの。

 

上巻では主に、堕落したサタンがいかにして神に対する復讐を図るかが描かれます。

 

アダムに対して天使ラファエルは、どのようにサタンが地獄へと追放されることとなったのかを語ります。

 

サタン率いる反乱の天使達は、強力なミカエルの軍勢の前に敗北を喫するのでした。

 

思うこと。

 

 

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作品を読む前にイメージしていたのは、専らアダムとイブの二人を中心にして物語が展開されていくという流れ。

 

上巻ではサタンの動向を軸に物語が進行していくので、いい意味で期待を裏切られたという印象。

 

モーロックやベリアルといった堕天使らの特徴もそれぞれ個性的で面白い。

 

加えて、「」や「」といった概念が擬人化されて登場する点も気になるところ。

 

ドイツの文学にも「死」などのモティーフが擬人化されて登場することも多く、そこらへんの繋がりを調べてみるのも有意義かも。

 

特に注目したいのは、サタンの軍勢と天使たちの熱い戦い。かっこいい。

 

下巻もお楽しみに〜

クマでもわかるジャン・パウル

 

もうすっかり秋ですな。

 

<ジャン・パウル

 

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幻想やウィットに富んだ文体で優れた作品を多く生んだジャン・パウル1763-1825)。

 

彼が活躍したのは、古典主義からロマン主義へと文学のあり方が移行していく時代でした。

 

ジャン・パウルはこうした当時のドイツ文壇の流れや、同時代を生きたゲーテ やシラーからは距離をとっていました。

 

後に紹介するヘルダーリンクライストとは異なり、彼は生前から高い評価を受けていました。

 

そんな彼の有名作品は、『陽気なヴッツ先生』(1793)や『生意気盛り』(1804)など。

 

次回は陽気なヴッツ先生について!

クマでもわかる啓蒙期 II

 

はじめに。

 

今回は啓蒙期の哲学面を少しみてみましょう。

 

前回扱った啓蒙期の側面とは嗜好を変えて、今回は思想面を主に。

 

この時期の哲学から得られた知識はとても重要なもので、欠かせないモノ。

 

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僕らがイメージする「自由」や「民主主義」のような思想は、啓蒙期の哲学無しには存在しなかったのです。

 

ルソーやカントなどを紹介しながら、啓蒙期の哲学的な面を概観していきます。

 

 

啓蒙の時代

 

ジャン・ジャック・ルソー

 

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少しドイツ文学から逸れるけど...今回はルソーの思想について。

 

ルソーの著作の中でも、『社会契約説』(1762)は特に有名な作品。

 

ルソーによれば、人間は本来、その自然状態において「自由」な存在なのだそう。

 

ここでいう自由とは、独立して物事を考え、ときに他者と「自由意志」のもとで協力関係をむすぶことができる...ということ。

 

この関係の中で生じる約束などが「社会契約」であり、国家の形成に不可欠なもの。

 
<インマヌエル・カント>

 

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カントも啓蒙期の思想面を考える上で忘れられない存在。

 

彼の哲学の芯となるのが、「私は何を知りうるのだろう?」という問い。

 

この課題にカントは以下のような答えを導き出します。

 

人間が知りうるのは、この時間と空間に起きた出来事のみ。

 

時と空間を超越した存在である「神」を認識することは、人間には不可能ということ。

 

ヴォルテール
 

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西洋の啓蒙期において最も影響力があったともいえるヴォルテール

 

フランソワ・マリー・アルエという名が本名だったそうな。

 

そんな彼は、「啓蒙」の根本的な概念を擁護しようとするのです。

 

それらは「寛容」、「個人の尊厳」、「個人の権利」、「理性」と呼ばれるもので、ヴォルテールはこれらの概念が絶対主義により蔑ろにされていると考えます。

 

こうして、彼はフランス革命の火付け役となったのでした。

 

<理神論>

 

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理神論という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

 

啓蒙期に生まれたこの思想は、世界を作った神の存在を信じるけれど、その神がこの世界に働きかけることは信じないというもの。

 

ここでいう神というのは、キリスト教の神とはまた別の存在として考えられました。

 

そのため、キリスト教の教義を信奉する人々からこの思想は批判されることとなります。

 

しかし、このキリスト教の教えは、理性を重要視する啓蒙の時代において、簡単には受け入れられなくなってしまうのです。

 

さいごに。

 

さて、これで啓蒙シリーズは終わりです。

 

時間がある良い子はこちらもどうぞ。

 

たぶん30秒で読めます。

 

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最後まで読んでくれてありがとう!

クマとよむ『坂の上の雲』④【司馬遼太郎】

はじめに。

 

坂の上のクマ 第四弾です。

 

日本もかなり涼しくなってきたみたいですが、皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。

 

早速、第四巻のあらすじから。

 

あらすじ。

 

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第四巻の中心は日露戦争下の旅順における攻防。

 

物語の前半は児玉源太郎や、東郷の艦隊の動向を軸に展開していきます。

 

好古率いる騎兵旅団が、ミシチェンコ率いるコサック騎兵に対していかに対抗していくかといった点も描かれます。

 

遼陽会戦のなかで、クロキこと黒木為楨の軍が勝利を収めたのち、戦争の舞台は旅順へと移っていきます。

 

旅順要塞の攻略作戦は、乃木軍の乃木希典、さらに同軍の参謀長である伊地知によって、惨憺たる様相を呈していくが...。

 

思うこと。

 

子規が物語の舞台から姿を消したことで、巻全体を通して日露戦争に関する描写になったことが残念。

 

その代わり、旅順を攻略するまでの日本軍の様子が臨場感に溢れる筆致で描かれている点は、この作品に対する一般的な評価に値するかと。

 

ただ、乃木と伊地知の無能さについて言及する箇所が多すぎる感がありました。

 

同じ表現・同じ内容が繰り返されがちな点も疲れる。

 

児玉と乃木

 

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乃木の指揮に対する強い批判のほか、彼の立場を想う児玉の内面描写が印象に残りました。

 

児玉は乃木と同じ長州人であり、二人はかつて若い少佐として西郷軍と戦った間柄であり、乃木の面目を慮る児玉の態度には、彼の友人思いな一面がよく見て取れます。

 

乃木を説得して作戦の変更をさせるため、旅順へと児玉は向かうのですが、この動きには多分に児玉の乃木に対する配慮があったと思うのです。

 

さいごに。

 

最近ドイツ文学関連の記事が書けてませんが、そのうち再開します。

 

ドイツでの研究生活が充実しすぎてて、ついつい後回しに。

 

最後まで読んでくれてありがとう!